東京マラソンで死す
前日の東京マラソンを一緒に走った会社の同僚と「あの暑さで死んだ、あんな辛い思いは二度としたくない」という話をしていた直後、5月の南紀白浜トライアスロンの当選通知が2人共に届いてお互い飛び上がって大喜びしてしまい、ふと冷静になり我々どれだけドMやねん、ということに改めて気が付いた今日この頃ですが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
今回が悲願の東京マラソン初出場。嬉しくて会社で当選したと言ったら、「ぜひチャリティやりましょうよ」と煽られ、「4時間切れなかったら私がボウズ頭になりますので、その代わりに児童虐待防止の活動をしているNPOと困っている子供向けのホットラインサービスを提供するNPOへ皆様の寄附をお願いします」というチャレンジになってしまった。趣旨に賛同してくれる会社の同僚が予想以上に多く、本番2日前の金曜日夕方の時点で180万円を超える寄付が集まった。一人の力ではこんな額を寄附することは難しかったことを思うと、チャリティファンドレイジングをやって本当によかった、と思う一方、サブ4フィニッシュへのプレッシャーも高まる。1月は200㎞走ったものの、2月になって酒と走り込みをやめて調整を始めた途端に風邪をひいてしまいなかなか治らず、不安が残る展開。だが1月に32㎞をキロ5分18秒で走ったので、サブ4どころか3時間45分ぐらいで走れるのではないか、と甘い期待をもって本番を迎えた。
土曜日に受付を済ませ、ASICSブースの大きさにびっくり。Qちゃんこと高橋尚子さんがトークショーをやっていた。その後ふらふらしているとなんとQちゃんを発見、2ショットをお願いしたら快くOKしてくださった。その写真がこちら。
前日の土曜日は普通の食事に加えて餅が4個入ったぜんざいを昼と夜の2回も食べ、本番で足がつらないように梅丹のこってりミネラル2RUNを食べてアミノバイタルを飲み、10時前に就寝。ぐっすり眠って6時に目覚め、7時に家を出て厳重な警備の敷かれた新宿へ。
服装については悩んだものの、同時期にかつて熊本城マラソンを走った時と一緒の格好をしようと思い、夏用のUnder Armourのコンプレッション長袖Tシャツと、金融機関対抗なんちゃって箱根駅伝の時のチームTシャツ。下はワコールのCW-X。
スタート前に余裕をもってトイレを済ませ、体が冷えないように準備したビニール袋をかぶってスタートを待つ。あたかも熟練ランナーのよう。でもフルマラソンは昨年ぎっくり腰のせいでぶっつけ本番で走った大雨だった静岡マラソン以来。
平常心でチャレンジしようと思っていたので気負いなくスタート。時計も見ずに、自分が気持ちイイペースで走る。だが予想タイムを正直に申告してFブロックスタートだったため、混んでいて前に出るのにサイドステップ使いまくり。本気でタイムを狙いに行くなら自分の持ちタイムよりも少し速めに申告するのがオススメ。特に参加人数の多い大会では。
靖国通りから東京ドームまでは下り坂。ペースに乗るまで下りというのはありがたい。スタート時点で上着や着ていたビニールを脱いでいた人たちが多かったが、お腹の弱い私はしばらくビニール袋を着たままを選択、身体が暖まったところでボランティアの方に手渡す。走り出す前にアミノバイタル飲みすぎたので2km過ぎで空いていそうなトイレに駆け込んだが、意外と混んでいてタイムロス。
陽射しが強く、日陰を選んで走るのだがそれはそれで結構消耗する。皇居の手前で西城秀樹のYMCAが流れていて、両手でYMCAサインをやるぐらいの余裕はまだまだ残る。
皇居を経て日比谷の交差点から品川に向かうのは、よく走っている勝手知った道。品川折り返し、15㎞ちょっと、も無難に過ぎて、暑さが気になったので追加のこってりミネラル2RUNを食べようとしたら袋を落っことしてしまう。一生懸命拾ってみたものの、道路を転がった際に中身がどこかに行ってしまったようで、ただ単に時間をロスしただけで終わる。そして焦ってポーチからもう一袋を取り出して、水なしで飲もうとしたら、粒が大きすぎて呑み込めずに思いっきりえづいてしまった。
吐く、という行為はそれと同時に全身の筋肉が硬直する、ということが初めて分かった。正確に言うと吐いていなくてえづいているだけなのだが、脚の筋肉までこわばって、普通に走れるようになるまで時間がかかった。そしてミネラル摂取できず。後から考えると、一袋落としてもう一袋も摂取できなかった時点ですでに伏線になっていたのかも知れない。
気温が高いわりに湿度が低く、ほとんど汗をかかないままに銀座の21㎞地点を過ぎたが、乾いた肌はジャリジャリした感触。どうやら汗がすぐに乾燥してしまっているだけで、陽射しが強く結構発汗していたらしい。そうとも知らずにミネラル補給大失敗。ここまで㎞5分15秒ペースで走っていて、このペースで行くと3時間40分台前半。いいペースだ。
銀座4丁目から中央通り、永代通り、新大橋通り。まだまだ元気。江戸通りにはいって浅草寺に向かう25㎞から30㎞は丁寧に走って、最後の12㎞につなげよう、と心に誓う。27㎞地点あたりで会社の同僚が浅草から折り返してきているのに遭遇。彼は29㎞ぐらい。彼はサブ3.5ランナーで、その彼と10分ちょっとの差と思うと欲も出るというものだ。
ただ浅草寺の折り返しからガクンと脚が重くなり、1㎞ごとの表示を迎えるまでの時間がえらく長くなってくる。東日本橋を越えた30㎞地点から精神的にもつらくなり、まさに30㎞の壁を強く感じる。30㎞通過時点で2時間40分。あと12㎞を㎞6分で走っても4時間切れると思うとちょっと安心する。が、ふくらはぎがつりそうになってきてドキドキしながら走り続ける。
しかし。33㎞過ぎたころからどんどん脚がつらくなり、35㎞時点で両脚の膝の上の筋肉が完全につってしまう。最も応援の歓声が大きい銀座4丁目近辺でひどい顔をしながら走っていると思うと情けなくなる。気合いで何とかなるかも、と思って頑張ってみるものの、両脚つってしまうと物理的に歩くのも難しい。
あと7㎞、何とかして歩いてでもゴールできないかと頑張る。ちょっと走ってみるものの、脚が固まって動けない。そんな繰り返し。冷たいコーラが飲みたい。冷たいポカリも旨いが、俺が飲みたいのはコーラだ。
佃大橋の登りがきつい。だましだまし走る。歩く。止まる。40㎞地点まで何とかたどり着いた時点で3時間46分。㎞7分であと2㎞走ることができれば目標達成。普段だったら5㎞とか10㎞ぐらい、どんなに辛くても㎞5分45秒ぐらいで走れるのに、全く脚が動かない。結局とても悲しい気持ちになりながら、最後の2㎞に20分かかって4時間7分でゴール。
ゴールした途端に本当に全く脚が動かなくなり、痙攣してしまって座ることもできず、近くにいたスタッフの方に肩を借りたが転んでしまう。しばらく横になっていてください、と言われ寝ていたら意識が飛びそうになる。どうやらスタッフ通路の真ん中で寝てしまってとても邪魔だったこともあって車椅子を用意されてしまった。熱中症気味であったのかもしれない。何とか立ち上がって、フィニッシュエリアで歩き始めるが、またすぐに転んでしまう。
結局潔くボウズ頭になりました。Before、Afterの違いはこちら。
くそう悔しいぞ。どこかでぜひ4時間切りたい。でも今年はもうマラソンはないのだ。仕方がないので石垣島トライアスロンを頑張ることにします。
新作!16S2 asics アシックスシューズ SORTIEMAGIC RD ソーティマジック 【ユニセックス】( TMM458-4501)【RCP】 【送料無料】 |