自転車操業一筋42年

世の中の「意識高い系」トライアスリートについていけない泳ぎがヘタで意志が弱いサラリーマン、永遠の42歳後厄、が初フルマラソン完走後3年でアイアンマン70.3のフィニッシャーに。フルマラソンサブ4達成後の次の目標はOD3時間切りです。

天草トライアスロン走ったら熱中症になったでござるの巻 その3

バイクの最後の2km、1kmがまあまあの坂で最後は下ってフィニッシュ。
脚がつりそうな予感がしながらトランジション。塩飴を食べ、給水して走り出すも、すでに脚が言うことを聞かない。車がすれ違えないかも、というぐらいの田舎道がランコースで、それも裏山に上っていく、というぐらいの勢いの坂。


気持ちが折れることってそんなにないのだが、走り始めて1kmも行かないうちに歩いてしまう。気合いの問題だったら何とかしようがあるのだが、脱水で脚つるとなるとどうしようもない。一生懸命だましだまし行ってみるものの、上り坂は何とかなるのだが下りで踏ん張るとすぐつってしまう。トレーニング不足のせいなのか、2週間前のシーガイアトライアスロンからの回復に時間がかかっているのか。10kmぐらい気合いで何とかなる、と自分に言い聞かせてみるものの、一回つった脚はなかなか回復しない。

 

でも無理やり走り、アップダウンが終わった後の市街地を行く途中、あれ?と思った途端すっ転んだ。とっさに手をついたが肘と膝を強打。段差があったのに脚が上がらず越えられなかったのだろう。

ちょっとの間、茫然自失状態で座っていたら、ボランティアの人が飛んできた。

「大丈夫ですか?リタイアします?」別のボランティアの人も来て、「ここは勇気を持ってリタイアしましょう」という。そんなにリタイアさせたいのか?こっちはそんな気はさらさらないのだが。後から考えたら、軽い熱中症で青い顔してたのではないかと思う。練習の時も疲れて脚が上がらなくて転ぶ時があるのだが、精神的に凹むんだよね、大人になってから転ぶと。でも絶対完走しなければ、と思い、膝から血が垂れたままで再び走り出し、次のエイドで破傷風にならないように膝と肘の出血部分に水をザブザブ掛けてもらい、経口補水液もらってとりあえず応急措置。

 

その後、目黒区トライアスロン協会の服を着たお母さんと御近所談義して気を紛らわせながら走る。広瀬公園、というところに入っていくと、半端ない坂が待っていた。マラソンのコースならこんなコース絶対あり得ないわ、というぐらい。後ろの人は真っ直ぐ登れないので蛇行しながら坂を上がっていた。こんなに辛い10kmランってそうそうない。いつもは「10kmなんだから辛くなってもちょっと我慢すればすぐ着くし」と思って走っているのだが、軽度の熱中症になっていたと思われる身体は簡単に悲鳴を上げる。目の前の女性を撮影しているテレビクルーがいて、その人の後ろを背後霊のように血まみれの姿のまま走る。テレビに映るかもしれないからだらしなく走れないよね?と自分に言い聞かせながら。

 

でも結局走れなくなり、歩きでゴールを目指す。本渡港に向かう橋がずっと上りで辛すぎる。橋を登りきると、右側からゴール会場のアナウンスが聞こえてきて、そこから気を取り直して走り始め、人がたくさん見ているからちゃんと走らなきゃ、と自分にまた言い聞かせながらようやくテープを切る。

 

2週間前のシーガイアよりも30分も遅いゴールタイム。昨日大酒飲んでいたアサイさん、トライアスロン初挑戦のホソミさんはとっくにゴールしていた。酒をあまり飲まず、禁欲的な前日を過ごしたからってタイムがいいわけではない、という事実にへこむ。

 

トライアスロン初挑戦のアンジェラさんが現れず、制限時間の4時間が迫る。早く来ないとレース終了じゃん!とみんなで首を長くして待っていたが、時計は無情に4時間が過ぎたことを告げる。

そうしたらトラックにアンジェラさんが現れた。4時間超えたけど、念願のトライアスロン完走!(翌日公式記録見たら、制限時間を超えていたのに大会本部の粋な計らいで正式記録になっていた。)

 

正直、一番辛いトライアスロン体験だった。睡眠不足が一番良くなかったのかもしれない。2週間前のシーガイアでは死亡事故もあったばかり。自分ももしかすると熱中症で判断能力が低下していて、本当はリタイアすべきだったのにリタイア出来なかっただけかもしれなかった。

皆さん教訓です。熱中症の初期症状は暑く感じるのではなく、寒気と眠気です。体が冷えてきて眠たい気がしてきたら、真っ先に熱中症を疑いましょう。あとはリタイアする勇気を持ちましょう。