自転車操業一筋42年

世の中の「意識高い系」トライアスリートについていけない泳ぎがヘタで意志が弱いサラリーマン、永遠の42歳後厄、が初フルマラソン完走後3年でアイアンマン70.3のフィニッシャーに。フルマラソンサブ4達成後の次の目標はOD3時間切りです。

人はギックリ腰やってから1ヶ月でフルマラソンを走れるようになるのか?

朝シャワーを浴び終わって、片足をバスタブのヘリに乗っけて体を拭いているとき、そいつはやってきた。ビリッとした強い痺れが腰に一撃。数年ぶりのギックリ腰。

最初はプチギックリ腰だと思っていたら、会社に辿り着いた頃にはプチどころか超本格的なギックリに。お客様とのアポイントが数件あって帰宅も出来ず、会社の救護室で横になって痛みを堪える。

アシスタントが湿布貼りますよ、と言ってくれるのだが、嫁に頼むならまだしも、会社の部下、それも女性にシャツをべろーんと脱いでもろ肌晒してお尻の上から背中にかけて湿布貼って貰うのもかなり照れる。「いや、わたしお母さんなので問題ないですよ」と言われたが、問題あるでしょ。やはり。でももう一人のアシスタントは独身だからなあ、と訳の分からないことを考えた。

死にそうな思いをして家に帰り、翌日からはベンチプレスベルトをきつく締めこんでの出社。ベルトをするとかなりましになるのだが、腹圧が分散すれば痛みが減る、ということは逆に腹圧がどこかに集中していて痛みが増している、というのがギックリ腰のメカニズムなのだろう。体が右前方に傾いだまま、直立歩行する動物にはあり得ない姿勢で会社を徘徊していた。もちろん激痛を伴って。心だけでなくカラダも右傾化しておりました。

それが1月末のことで、そこからしばらく安静に努めていた。ゴルフも行かず、毎日一生懸命ストレッチ。体をほぐすために2、3度走ったが、どちらも10km程度のジョグ。3月1日の静岡マラソンはエントリーしてあったが、腰の具合を考えると到底走れると思えず、またそれ以前に朝7時半に現着しないといけないのにもかかわらず前泊の宿が見つからず、回避することに。

 

ゆっくり治すつもりだったのだが、気がつくと3月末開催の恒例の業界対抗なんちゃって箱根駅伝が間近に迫っている。私は4区、平塚中継所から小田原まで走る役を拝命しているのだが、駅伝はマラソンと違ってチームスポーツなのでサボるわけにもいかない。練習しなくてはならないのに、全然走れていない。これはヤバイ。

 

そんな中、一緒にエントリーしたあと喘息が悪化したので私同様回避する予定だった後輩から、「静岡マラソン、前泊しなくても新横浜朝6時の始発の新幹線乗れば、駿府城7時半楽勝ですよ」という驚きの報告が。それもレースの3日前に。そんなこと言われても全然準備できていないし、準備しようにもレース前々日に30km走など出来るわけもなく。

でもなんちゃって箱根駅伝に向けて準備するには絶好の機会なので、とりあえず走りに行って4区と同じ距離、すなわちハーフを終えたところでリタイアすればいいや、という軽い気持ちで出場することにした。

 

朝5時の東横線始発、結構混んでいた。夜の続きの人と、マラソンバカの人たちを乗せた電車で菊名へ。横浜線に乗り換えるのだが、ぎょっとするほどマラソンバカたちが多くてびっくり。腰痛抱えながら鎮痛剤用意してマラソン会場に向かおうとしている私が一番バカなのだが。

そして新横浜始発のひかり号はマラソンバカ輸送列車と化していた。それもかなり大降りの冷たい雨が降る、と予想されている日の早朝にもかかわらず。

 

着込んだジャージを脱いで走る格好になると、寒さが堪える。長袖のアンダーアーマーの上にTシャツ着て、タイツ履いて走ることにしたのだが、使い捨てのレインコート着ても全然温かくない。着ているTシャツも、1週間前にバイク(ガソリンで走る方)でコケて5針縫ったので走れなかったというとても縁起の悪い2013年の富士山マラソンの参加賞。

 

大会ゲストの増田明美が「太陽生命さんがスポンサーなので太陽出てきますよ!」と言った直後に雨が強くなってきてランナーのテンションがダダ下がりになった直後の8時20分に号砲が鳴ってレーススタート。腰をかばいながら走り始める。

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最初は街外れに向かって市内を走り、いきなり折り返してまたスタート地点の駿府城に戻る。その後、城の周りをぐるぐる回らされて、スタートからあまり景色が変わらず気持ちがへこたれる。ようやく本通りを南下し、安倍川餅の発祥の地と思しき安倍川橋を西に渡って14km。大体キロ5分から5分20秒ぐらいのペースで気持ちよく走れていた。ハーフマラソンまであとたったの7kmだと楽勝じゃん、と思っているうちに雨脚が少しずつ強くなる。

15km地点で事前に痛み止めのバファリン2錠と脚攣らないための水溶性マグネシウム粉末、Amino Vital Proを服用。R150まで南下し、再び安倍川を渡って19km。

 

これはもしかしてもう少し行けるかも。こんな海の近くでリタイアしたら、市外に戻るための公共交通手段もないし、雨風に吹きさらされて収容バスが来るのを凍えて待つよりも走った方がましかも。そんな妄想が脳内に湧いてくる。この時点でマラソンバカ確定である。結局ハーフ走って2時間弱。

静岡マラソン、補給で静岡おでんと採れたてイチゴが出てくるという素晴らしいホスピタリティ。私は食べなかったが、おでん食べているとボランティアの人が紙コップで水を持ってきてくれたらしい。恐るべきレベルの高さ。私はイチゴを頂き、走りながらイチゴの水分量の多さに感謝をし、糖分とクエン酸で癒された。

 

18kmから37kmまで、ずっと海沿いの国道150号線を走る。イチゴ街道とも言われていて、晴れたら富士山が正面に見られ、右手には海が見られて最高の道のはずだが、雨降って何も見えない。雨に濡れた靴が重くなってくる。風は吹きさらし。

下のコースマップの一番右下の辺り、清水バイパスを2回も折り返しさせられるのは本当に精神的に堪えて地獄のようだったが、そもそも止めればいいのにまだ走ってるお前がバカなんだろ、と思いながら走る。25km過ぎからキロ6分台までペースは後退したが、30kmの壁は明確には感じられず、そこそこいい感じで走る。30km地点で改めてバファリン2錠追加。腰はまだ大丈夫。

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だが流石に35km過ぎると脚が痛くなり、キロ7分台に後退。ちょっと歩いては走り、の繰り返し。水溶性マグネシウムのおかげか、あるいは低い気温のおかげかいつも攣ってしまう脚もただ痛いだけで機能してくれる。ありがたい。

 

結局だましだまし走って驚きの完走。ネットタイム4時間25分35秒。トイレ行ったり、ゆっくり補給しながら腰痛爆弾を抱えて走ったタイムとしてはそこそこの出来ではなかろうか。たいした練習もせずに42.195km走れるようになったことは感慨深い。

 

静岡マラソン、ボランティアスタッフのホスピタリティが高くて感激しました。完走メダル渡してくれる係のお母さんにも、フィニッシャータオルくれたお姉さんにも心から御礼申し上げました。雨の中、沿道で応援してくれた皆さんにも大変励まされました。でもフィニッシュ後の更衣場所が狭すぎて、大勢の人が屋外の吹きさらしのガードの下で凍えながらタオルで前だけ隠しつつびしょ濡れの体を拭いて着替えなければならなかったので、街の美観を大きく損ねたと思います。清水は銭湯あまりないみたいね。

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 本日のトレーニング 42.195km 4:25:35 6:14/km 3146kcal