自転車操業一筋42年

世の中の「意識高い系」トライアスリートについていけない泳ぎがヘタで意志が弱いサラリーマン、永遠の42歳後厄、が初フルマラソン完走後3年でアイアンマン70.3のフィニッシャーに。フルマラソンサブ4達成後の次の目標はOD3時間切りです。

行って来い

会社が半年あまりで引っ越すので、昔の資料を整理していたら、というかガンガン捨てていたら、2005年の手帳が出てきた。懐かしくてぱらぱら眺めていたら、なんとページの間から1万円札と5千円札が出てきた。

2005年と言えば、プチバブルが来ていたときだったなあ、当時からだらしない性格だったんだなあ、と妙に感心。そして、臨時収入?にちょっと喜ぶ。

一緒に片付けをしていた私のアシスタントも「8年前の1万5千円が出てくるなんて凄いですね~」と驚き、周りの人間も「自分もお金出てくるかな」などと俄然資料の整理をし始める始末。

でもよくよく考えれば、8年前に1万5千円損して、それが戻ってきただけだから単に「行って来い」なんじゃないの?ということに気がつく。喜んでもしょうがなくて、あって当たり前の、見つからなかったものが出てきました、っていうだけで。デフレだから実質金利がついたみたいなものだろうけれど。

 

話は変わって。

先日、家人と5歳の娘が近所の商店街を小雨の降る中歩いていたら、捨て猫を見たという。今時捨て猫とは珍しい。

一匹の子猫が段ボールの中でしとしと降る雨に濡れている。家人と娘は、気の毒に思ったけれどうちに連れて帰ってやることも出来ず、誰か親切な人にもらわれればいい、次に同じところを通ったときにはちゃんと段ボールがなくなっているようにと願った。

結局、知り合いが近くにある猫の病院(猫専門の病院。私のような中年のおじさん専門の病院、なんて滅多に見かけないのに、猫専門の病院があるなんて凄い)に猫を連れて行き、猫病院に「いいことをしましたね」と褒められたのに検査と注射で1万円請求され、貰い手が現れるまで家で預かることになった。実は今でもまだ引き取り手が現れておらず、結局その家の飼い猫になるのではないかと私は踏んでいるのだが。

その商店街を歩いた人たちの大部分は、捨て猫を拾ってあげられない自分を責めて、切ない気持ちになったはずだ。そして誰か親切な人に貰われていってくれ、と祈ったはずだ。我々はその子猫が親切な人に引き取られたことを知っているからまだいいが、あの子猫どうなったんだろう、カラスに食べられたりしていないよね、自分が貰ってあげられれば良かったのにと今でも悔やんでいる人がいてもおかしくない。

いつも普通に何げなく歩いている道に、誰かが子猫を捨てただけで、色んな人の心にさざ波が立つ。

でもこれも、結果的にはある意味「行って来い」。冷たい雨に打たれる子猫に心を痛め、そして人の親切にほっとする、結果としては普段何もない道を何事もなく歩くのと変わらず、あたかも何事もなかったかのようだ、という意味で。普段は見たくもないものは見ないでいるだけ、なのかも知れないが。